ガーディナー ヘンリー・パーセルの音楽

エリザベス女王、崩御

英国女王エリザベス2世(1926年4月 – 2022年9月8日)が崩御され、2022年9月19日、大規模な国葬が行われました。

その模様は全世界に中継され、生前の女王の御姿を偲び、たくさんの人が哀しみに暮れるとともに、壮麗な儀式の光景には多くの人々が圧倒されました。

まさに英国を象徴する立ち姿の近衛兵たち。乾いた蹄の音が心地よい馬の歩み。そして、教会いっぱいに鳴り響く美しい讃美歌の合唱、荘厳なオルガン、印象的なバグパイプの響き。いずれも感動的で、国葬と言う状況を忘れ、ただただイギリス文化の壮麗さに目を見張ったものです。

ところで、その華々しい葬儀の様子をテレビ越しに見ていた私は、ふとヘンリー・パーセル(1659年9月 – 1695年11月)の音楽のことを思い出しました。

パーセルはイギリス・バロック期の大作曲家。36歳と若死でしたが、800を超える曲を書き、今日では英国を代表する大音楽家と見做されています。ちなみに、彼が書いた劇音楽「アブデラザール、またはムーア人の復讐 Z.570」の第2曲「ロンドー」は、有名なブリテンの『青少年のための管弦楽入門』の主題として、多くの人に知られています。

パーセルの音楽は明るく輝かしく、透明で颯爽としており、絶頂期にあったイングランド王国の自信が満ち溢れています。

エリザベス2世在位時は、かつての権威を失墜し、苦悩の時代を送ることになったイギリスですが、あの国葬では決して世界に覇を唱えた国家のプライドを失っていないことが確認できました。今回の出来事をきっかけに、歴史に思いを馳せながら、私はヘンリー・パーセルの音楽に浸ろうと思います。

「ガーディナー パーセル作品集」

Disc 01-02
● 歌劇『アーサー王(または、イギリスの偉人)』 Z.628 全曲

ジリアン・フィッシャー(ソプラノ)
ジェニファー・スミス(ソプラノ)
アシュリー・スタッフォード(カウンターテナー)
ポール・エリオット(テノール)
スティーヴン・ヴァーコー(バリトン)、他
モンテヴェルディ合唱団
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー

録音:1983年1月

Disc 03
● メアリー女王の誕生日のためのオード『来たれ、汝ら芸術の子 Z.323
● メアリー女王のための葬送の音楽 Z.27
● 主よ、わが敵の何と多きことか Z.135
● わが愛する者語りて Z.28
● おお神よ、汝はわれらを見捨てたもう Z.36
● わが祈りを聞きたまえ、主よ Z.15

フェリシティ・ロット(ソプラノ)
チャールズ・ブレット(カウンターテナー)
トーマス・アレン(バリトン) 、他
エクアーレ・ブラス・アンサンブル
モンテヴェルディ管弦楽団&合唱団
サー・ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)

録音:1976年2月

● 主よ、わが敵の何と多きことか Z.135
● わが愛する者語りて Z.28
● おお神よ、汝はわれらを見捨てたもう Z.36
● わが祈りを聞きたまえ、主よ Z.15

モンテヴェルディ合唱団
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー

録音:1979年

Disc 04
● 聖セシリアの祝日のオード Z.328

モンテヴェルディ合唱団
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー

録音:1982年

Disc 05-06
● 劇音楽『アセンズ(アテネ)のタイモン』 Z.632 全曲
● 劇音楽『ダイオクリージャン』 Z.627 全曲

リン・ドーソン、ジリアン・フィッシャー(ソプラノ)
ロジャーズ・カーヴィー=クランプ、ポール・エリオット(テノール)
マイケル・ジョージ、スティーヴン・ヴァーコー(バス)
モンテヴェルディ合唱団
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー

録音:1987年12月

Disc 07
● 劇音楽『インドの女王』全曲

ジリアン・ファッシャー、ジェニファー・スミス(ソプラノ)
アシュリー・スタッフォード(カウンターテナー)
マーティン・ヒル、ジョン・エルウェス(テノール)
デイヴィッド・トーマス(バス)
スティーヴン・ヴァーコー(バリトン)、他
モンテヴェルディ合唱団
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー

録音:1979年2月

Disc 08
● 劇音楽『テンペスト』全曲

ジェニファー・スミス(ソプラノ)
ジョン・エルウェス(テノール)
デイヴィッド・トーマス(バス)
スティーヴン・ヴァーコー(バリトン)、他
モンテヴェルディ管弦楽団&合唱団
指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー

録音:1979年2月

Disc 09
● 映画『パーセル~我が祖国イングランド』サウンドトラック
1. トランペットと弦楽のためのソナタ ニ長調 Z.850
2. 女房持ちの色男 Z.603~序曲
3. メアリー女王の誕生日のためのオード Z.323~第2&3曲
4. サウル王とエンドルの霊媒女(罪におののく夜に) Z.134~In Guilty Night
5. インドの女王 Z.630~メヌエット
6. アーサー王 Z.628~最も美しき島よ
7. 安らかなる良き心に(目を閉じ、安んじて眠れ) Z.184
8. ダイドーとエネアス Z.626~大地に眠るとき
9. メアリー女王の葬送音楽~行進曲、女より生まれし者は、
10. カンツォン:我らの心の秘密も』
11. アブデラザール Z.570~ロンドー
12. 『アーサー王 Z.628より(抜粋)

モンテヴェルディ合唱団
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー

録音:1995年

 

演奏は、イギリス勢。しかも、20世紀後半の古楽演奏において、最高峰の実力と評価されたサー・ジョン・エリオット・ガーディナーと彼の手兵モンテヴェルディ合唱団&イングリッシュ・バロック・ソロイスツという、文句のつけようのない布陣です。録音もアルヒーフではなく、柔らかさが持ち味のエラート、と言うのが嬉しいところ。

さて、このセットはパーセルの主要作品をほぼ網羅しています。彼の代表的オペラがこれだけ聴けるというのは、他にない強みと言って良いでしょう。

それにしても、パーセルはなぜこれだけたくさんのオペラを遺したたのでしょう?

それは、当時彼が置かれていた状況が影響しています。

チャールズ2世の帰還

ここからは懐かしい世界史の話になりますが、皆さん「名誉革命」って覚えていらっしゃいますか?

イングランドはエリザベス1世女王の下で躍進しますが、彼女が未婚のまま没したため、スコットランド王ジェームズ(1世)を次王に迎えます。ところが、ジェームズ1世と息子のチャールズ1世は専制を敷いて議会と対立し、清教徒革命が勃発。議会派が勝利し、その中心であったオリバー・クロムウェルによってイングランドは共和制へ移行します。

ただし、クロムウェルとその息子は国民に不評で、王党派はフランスに亡命していたチャールズ2世を召喚。ここで再び王政が復活します(ステュアート朝)。

情勢はまだ収まりません。次のジェームズ2世がカトリック寄りの専制を敷いたため、国民、議会の怒りを買い、彼はフランスに追放されます。そして、次のメアリー2世とその夫でオランダの総督ウィリアム3世の共同統治の時代、国王の権利が大幅に制約され、議会が主権を握る立憲王政が確立(絶対王政の消滅)し、これがのちに「名誉革命」と呼ばれる、イギリスの歴史の大きな転換点となりました。

ウイリアム3世

ちなみに、パーセルは王政復古の立役者、チャールズ2世に大変可愛がられました。音楽好きの王は、パーセルを王室弦楽合奏隊の専属作曲家や、ウェストミンスター寺院のオルガニストに任命するなど、パーセルにこのうえない地位や名誉、経済上の実りを与えます。またパーセルもその期待に応え、たくさんの歓迎歌やオード、祝祭音楽や劇場付随音楽、宗教曲を含む合唱曲を書き上げました。

ところが、次のジェームズ2世はパーセルを冷遇し、彼の活動は縮小。ジェームズ2世が名誉革命で追放後も、絶対王政の終焉から以前のような王宮付きの仕事は激減してしまいました。

それでも、そうした窮地はかえって彼を商業創作の方向へ向かわせ、パーセルのセカンドキャリアを作り上げたのですから、人生は分からないものです。

そして、パーセルが商業創作においてもっともその才能を発揮したのが、オペラと劇音楽でした。

まず1689年の作品『ディドとエネアス』。

後述の作品が劇付随音楽なのに対し、この作品は唯一、歌劇として扱われています。1時間弱の作品で、カルタゴの女王ディドとトロイの王子エネアスの悲恋。カルタゴを陥れようと企む魔女達によりエネアスは騙されてディドのもとを去り、残された彼女は嘆きの歌を歌いながら死んでしまいます。

ディドの辞世の歌「わたしが地中に横たえられた時(”When I am laid in earth”)」は、美しく有名なアリアです。

この作品で劇音楽の自信を持ったパーセルは、ロンドンの興行会社「ユナイテッド・カンパニー」と契約し、次々と傑作を発表していきます。

「予言者、またはダイオクリージャン Z.627」、「アーサー王、またはブリテンの守護者 Z.628」、「妖精の女王 Z.629」、「インドの女王 Z.630」、「テンペスト、または魔法の島 Z.631」はどれも傑作で、初演当時から大変な反響を呼んだそうです。一時は忘れられていた時期もありますが、20世紀の古楽ブームにより次々と復古上演、録音、映像化が進められ、今日ではモーツァルトやベートーヴェンの音楽並みに容易に接することができるようになりました。

ガーディナーのこれらの演奏は文句のつけようがありません。妙に肩肘張ることなく、清冽な音響に身を浸すことができますし、それまで行われていたモダン楽器のロマンティックな演奏とは明らかに一線を画しています。

ただ、私がこのボックスで最も感心したのは、Disc 03の「メアリー女王のための葬送の音楽 Z.27」です。

この曲は合唱及び4本のトロンボーンとパイプオルガンとティンパニと言う変わった組み合わせ。March – Man that is born of a woman –  Canzona – In the midst of Life – Canzona – Thou knowest, Lord, the secrets of our hearts – March という7つの曲から成ります。

モンテヴェルディ合唱団の弱音の美しさ。ffでも濁らない見事なハーモニー。まさにガーディナーの訓練の賜物でしょう。

そして、第7曲。荘厳で威厳に満ちた行進曲の素晴らしさには言葉も出ません。

実はガーディナーは、バブル絶頂期の1989年3月、手兵とともに来日。この曲を演奏しました。日本は平成と言う新しい時代を迎えたばかりでしたが、63年在位された昭和天皇の崩御を悼むように、サントリーホールに響いた厳粛な音楽に私たちは身が引き締まる思いがしたのを今でも覚えています。

このディスクを聴くたびに、もはや遠い昔となったあの時の感激を思い出してなりません。

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