◀(前回の記事)ヴァルター・ギーゼキング/ワーナー・クラシックス録音全集 02
収録曲目はこちらをご参照ください。
ギーゼキングの真骨頂はベートーヴェンにあり
ヴァルター・ギーゼキングのレパートリーはと言いますと、まず第一に指を折られるのがモーツァルト。そして、ドビュッシーやラヴェルの大家としても彼は永く讃えられました。
しかし、今日ではアルフレート・ブレンデルや内田光子のような優れたモーツァルト弾きの名盤がよく聴かれますし、かつては難曲扱いだったドビュッシーやラヴェルも、現代の若手によっていとも簡単に演奏されています。
ギーゼキングの演奏の素晴らしさは変わりませんが、「不滅の…」という表現はもはや当たらないかもしれません。
それゆえに、むしろこれまで不当に黙殺されてきた彼のベートーヴェン録音を聴いてほしい、と個人的には思っています。
例えば、Disc 05に収められたベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第1番」。もはや顧みられることもない古い録音ですが、内容はとても素晴らしい。
のちに現代音楽演奏で鳴らしたハンス・ロスバウト(1895年7月22日 – 1962年12月29日)がきびきびと快速テンポで進めるのにもギーゼキングは難なく合わせ、持ち前の珠を転がすような美音で聴き手を魅了します。快速でありながら1音たりとも疎かにせず、それでいてデュナーミクの幅を大きくとらずに安定した運びで進めるのはさすが。
戦前のギーゼキングの協奏曲録音はどれも本当に素晴らしく、これは別の機会に取り上げますが、若かりし日のカール・ベーム指揮ザクセン国立歌劇場管弦楽団(現在のシュターツカペレ・ドレスデン)と録音したベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」とシューマンの「ピアノ協奏曲」は、現代風の爽快さの中に今日では聴くことのできない19世紀風の典雅さが漂い、まさに歴史的な記録と言えます(Disc08-09)。
ところでギーゼキングは、最晩年の1955年と1956年になってようやくベートーヴェンのソナタ全集に着手しました。最晩年と言ってもまだ60歳を数えたばかりで、まだまだ壮年期の力強さが漲っており、「白鳥の歌」のような雰囲気は微塵もありません。この全集を録音中に体調を崩し、手術の甲斐なく亡くなったと言われるだけに、彼自身もこのような形で全集が未完に終わるなんて思ってもみなかったことでしょう。
ちなみに、無事録音されたのは、1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14・17・18・19・20・21・23・30・31番の22曲。16番のいわゆる「田園ソナタ」は、4楽章を欠くことになりました。また、第21番『ワルトシュタイン』と第23番『熱情』は、全集とは別に1951年にチューリッヒで録音されたもので、いわゆる転用になります。
このように残念な結果になったソナタ全集ですが、実はギーゼキングは1949-1950年にザールブリュッケンでベートーヴェンのソナタを数多く放送録音しており、最近になってアンドロメダ・レーベルから復刻されました。
現在CDで聴けるのは(このボックスには含まれていませんが)、1・2・3・6・8・9・10・11・12・13・14・15・16・17・18・19・21・23・24・25・26・27・28・28・29・30・31・32番の28曲。EMI盤と併せると、22番のソナタ以外は全部聴けることになります。良い時代になったものですね!
それにしても、これまでEMI盤が注目されてこなかった、というのは不思議な話です。ギーゼキングのスタンスは、ロマンティックなケンプや堅牢なバックハウスとは大きく異なり、基本的に自由自在。猛烈なテクニックを駆使しながら豪快さと繊細さを併せ持ち、幅広い表現を披露します。
例えば有名な「月光ソナタ」では冒頭、精妙幽玄な音楽を聴かせたかと思うと、第3楽章は快速テンポでデュナーミクやアゴーギグをこれでもか!と揺らし、限りなく振幅の大きい音楽に仕上げています。ここにはギーゼキングの凄みが全て詰まっており、多彩な表情がめまぐるしく明滅する表現力は他に比較するものがないような気さえします。
「テンペスト」も素晴らしい。正確でスピード感のある打鍵である一方、バス声部が非常にしっかりしており、音楽が違った印象で立ち上がってきます。第3楽章は無窮動的で、第1主題がほぼ一気呵成に疾走するイメージですが、バスが際立つことで音楽の多彩な構造が明らかとなり、聴いていて飽きません。
「30番」の第2楽章に聴かれるリリックでオシャレな佇まいも良いですね。さらに長大な変奏曲型式となる第3楽章に至ると、ギーゼキングは個性を捨て、ひたすらベートーヴェンの音楽に奉仕するように変転し、最後は高音部による祈りの歌を神々しく歌いあげながら、静かに音楽を閉じます。次の「31番」の、夜の星空を仰ぐような静謐な世界と併せてお聴き頂きたいものです。