アバド マーラー 交響曲全集

いま再評価したい 上昇気流のアバドの熱演



Disc 01 – Disc 02
交響曲第1番ニ長調『巨人』
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1989年12月、フィルハーモニー、ベルリン(ライヴ)

交響曲第2番ハ短調『復活』
ヴァルトラウト・マイアー(M)
シェリル・ステューダー(S)
アルノルト・シェーンベルク合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1992年11月、ムジークフェラインザール、ウィーン(ライヴ)


Disc 03 – Disc 04

交響曲第3番ニ短調
ジェシー・ノーマン(S)
ウィーン少年合唱団
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1980年9月、ムジークフェラインザール、ウィーン


Disc 05

交響曲第4番ト長調
フレデリカ・フォン・シュターデ(S)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1977年5月、ムジークフェラインザール、ウィーン


Disc 06
交響曲第5番嬰ハ短調
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1993年5月、フィルハーモニー、ベルリン(ライヴ)


Disc 07
交響曲第6番イ短調『悲劇的』
シカゴ交響楽団
録音:1979年2月、オーケストラ・ホール、シカゴ


Disc08-09

交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』
シルヴィア・マクネアー(S)
シェリル・ステューダー(S)
アンドレア・ロスト(S)
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(M)
ローゼマリー・ラング(A)
ペーター・ザイフェルト(T)
ブリン・ターフェル(B)
ヤン=ヘンドリク・ローテリング(B)
ベルリン放送合唱団
プラハ・フィルハーモニー合唱団
テルツ少年合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1994年2月、フィルハーモニー、ベルリン(ライヴ)


Disc 10
交響曲第7番ホ短調『夜の歌』
シカゴ交響楽団
1984年1、2月、オーケストラ・ホール、シカゴ


Disc 11 – Disc12
交響曲第9番ニ長調
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1987年5月、コンツェルトハウス、ウィーン(ライヴ)

交響曲第10番嬰ヘ短調~第1楽章「アダージョ」
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1985年6月、ムジークフェラインザール、ウィーン(ライヴ)

指揮:クラウディオ・アバド

 

クラウディオ・アバド(1933年6月26日 – 2014年1月20日)の壮年期のカッコよさは異常でした。

1980年代後半。彼はカラヤンとバーンスタインに次ぐ大スターであり、音楽界の期待を一身に背負い、その音楽は情熱と光彩に溢れ、また指揮姿はイタリアの俳優のように優雅でカッコよかった。

そんな彼の得意レパートリーがマーラー。当時はやっとその音楽が市民権を得始めた頃であり、その解釈において第一人者であったバーンスタインとはまるで正反対のスッキリしたアプローチに、当時の聴衆は大いに魅せられました。

彼のマーラーは、1965年のザルツブルク音楽祭・デビュー盤を起点に、晩年のルツェルン音楽祭での一連の演奏まで、45年にわたって成熟していきます。しかし残念なことに、彼は完全な形でのマーラー「交響曲全集」を遺しませんでした。

まず、マーラーの晩年の傑作である「大地の歌」を録音していない(最晩年にベルリン・フィルと演奏していますが、CD化されず)。そして、手兵ベルリン・フィルとは「第2番 復活」だけ、なぜか録音していないのです。

さらに、晩年あれだけ蜜月だったルツェルン祝祭管弦楽団とも、「第8」だけは録音せず。つまり、どちらもあと1曲足だけ足りないわけで、何とももどかしい気分になります(どのみち、「大地の歌」はないのですが)。

一方で、若い頃にウィーン・フィルとシカゴ交響楽団とはたくさんのマーラー録音を遺していて、このボックスのように、ベルリン・フィルとの名演と組み合わせることで、いちおう全集は出来上がってしまうのです。さらにもどかしい…..。

余談ですが、アバドは1996年の来日公演で「復活」を振っており、これはNHKが優れたビデオ収録を行っていますから、もし晩年の「大地の歌」とともに正規発売許可されれば、アバド&ベルリン・フィルによるマーラー全集は出来上がります。いつかそういう日が来てほしいですね。

というわけで、それまではとりあえずこのボックスでアバドのマーラーを愉しみたいと思います。

1枚目は言わずと知れた超名盤。カラヤン没後、栄誉ある後任の首席指揮者に選ばれてから最初の仕事。彼が選んだのは、得意とするマーラーの中でも青春の息吹溢れる「第1番 巨人」でした。

アバドの棒とオーケストラの技術が幸せな化学反応を生んだのか、全曲にわたって驚異的な精緻さを聴かせてくれます。それでいてうるさくなく、濁りもなく、ベルリン・フィルらしいマッシブな響き。アバドのバランスの良さと歌心は、他盤と比べても群を抜いた素晴らしさです。

続くウィーン・フィルとの「復活」、「第3」、「第4」は、オーケストラの筆舌に尽くし難い美しさ、それでいて録音当時、現代音楽に力量を発揮したアバドらしく、醒めた目で曲のディティールを緻密に描いていきます。

「第3」の冒頭のホルンの朗々たる響きと、凄絶な弦楽器が溶け合った悲劇的な色調をどう讃えたらよいでしょう!その後に続くいかにもマーラー的な独奏ヴァイオリンと木管が作り出す異世界的な響きにも感心します。

さらに「復活」と「第3」のフィナーレに期待されるスペクタクルな盛り上がりも十分。しかも、テンシュテットやバーンスタインと異なって、上品で晴朗なサウンド。どれだけ盛り上がっていっても、細部が丁寧に彫琢され、楽器間のバランスの精緻さが崩れることはありません。

それでは、手兵ベルリン・フィルとの演奏はどうか?

「第5」は非常に充実した響きが際立ちます。ウィーン・フィルとは一味も二味も違い、ずっしりとして壮麗なサウンド。そしてここはこうあるべきをすべて満たした演奏と言えます。有名なアダージェットは、カラヤン時代からの特色である弦楽器の憂いに満ちた絹のような音色が素晴らしく、アバドの歌心も相まって切ないくらいの美しさに満ちています。

ただし、フィナーレで顕著なように、安定しすぎていてスリリングさが足りないと言う意見もあるかもしれません。(YouTubeで聴けますが)ロンドン交響楽団との来日で聴かせたような、若いエネルギーに満ちた熱演を知っているファンは、アバドの大人しさにもどかしさを感じるでしょう。

それに比べれば、「第8」のスタンスは徹底して柔らかく、緻密に表現することであり、アバドの心意気に感服します。それでいて、ゲーテの「ファウスト」をテクストとする大団円はベルリン・フィル渾身のサウンドに圧倒されるようで、物足りなさを感じる方はおそらくいないでしょう。

「第6」と「第7」は、シカゴ交響楽団との共演です。同じくマーラーを得意とするゲオルク・ショルティのホーム・グラウンドに乗り込み、アバドの音楽とはかくあるべし、を示した若武者の勇気と才能には拍手を贈りたいです。

それでも文句なしの「第6」に比べ、「第7」は老獪かつパワフルさで他の追随を許さないショルティのレコードに、一歩も二歩も及ばない気がします。それくらい、ショルティ盤は凄かった。

最後にご紹介するのは、ウィーン・フィルとの「第9」です。これは非常に「怖い」演奏。バーンスタインのような激情的な意味での「怖さ」ではなく、シェーンベルクやベルクのようなエキセントリックな不安な影を持った演奏です。

録音年は1987年。晩年のアバドしか知らない方には意外でしょうが、この頃の彼は現代音楽の最高の演奏者のひとりであり、「ウィーン・モデルン」という現代音楽イベントを精力的に主導していました。

そんなアバドの手にかかって、「第9」がロマンの殻から解放され、ひたすら玲瓏な音楽に生まれ変わっています。

3楽章に大きな加速がありますが、これも音楽をスポーツ的に、疾走する快感をメンバーと楽しんでいたのではないか、と想像されるくらいで、この難曲でそんな表現をする指揮者はそれまでいませんでした。

全体的にウィーン・フィルのサウンドはこの世のものでないくらい美しく、巧いです。新ウィーン楽派の音楽がもう眼の前に迫っていた頃にマーラーが書いた音楽。そして、その時代の空気を知っているウィーン・フィルの的確な表現力は、精神病理とかアルマ・マーラーとか一切の思い込みを排除して、マーラーの「第9」の置かれていた状況を表現しきっています。

以上、アバドの様々な時代のマーラーをとらえたボックスについて紹介してきましたが、ベルリン・フィル時代の円熟したマーラーを聴きたいと言う方も少なくないでしょう。そんな方には下のボックスを紹介します。特にウィーン・フィルやシカゴ交響楽団との録音とは全く違う音楽が展開されており、重複も発生しますが、ぜひお聴き頂きたいと思います。

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