ブルックナー「第8」 最高の名演にして怪演
ルーマニア出身で20世紀最高の指揮者の一人、セルジュ・チェリビダッケ(1912年 – 1996年)については、彼の得意とするブルックナー演奏のことを過去に書きました。
チェリビダッケと言えばブルックナーというくらい、彼は圧倒的な演奏を聴かせてくれました。フルトヴェングラーのベートーヴェンやトスカニーニのヴェルディがいくら凄いと言っても音質がイマイチなモノーラルなのに対し、チェリビダッケのブルックナーはデジタル録音で数多く残されています。それどころか、ハイビジョン映像さえ残してくれました。これらはクラシック音楽ファンにとって天からの贈り物と言うべき財産でしょう。
とは言え、チェリビダッケは生前、大変な録音嫌いとして知られました。カラヤン没後は積極的にメディア出演を果たし、ファンを大いに喜ばせたものの、時すでに遅く、彼の全盛期の演奏は海賊盤によってしか窺い知れない、と言う状況が長く続いたのです(後に遺族の了承で夥しい未発表ライブ盤が正規盤としてリリースされます)。
ただし、そうした海賊盤の中にはとんでもない超弩級の名盤があり、その中でも最高傑作と謳われたのが、本日ご紹介するブルックナーの「交響曲第8番」の演奏、通称「リスボン・ライブ」です。
だいたい海賊盤と言う代物は膝取り録音など音質が劣悪なものが多く、チェリビダッケの場合は特にそれが顕著だったのですが(逆にそれが背徳感を高め、ゾクゾクするコアなファンもいたようですが…)、このディスクは非常に聴きやすく、金管の咆哮もビリビリしない、程よくホール・トーンをとらえた名録音だと思います。
ただし、海賊盤ですから数に限りがあり、大手レコードショップで簡単に手に入るようなものではありません、一時は市場から姿を消し、ネットオークションで高値で取引される時期もありました。
それが2022年の3月になって突如、正規盤としてリリースされることになったのです。2021年は、フルトヴェングラーのバイロイトの第9(1951年)の正真正銘のライブ放送音源がリリースされ、大きな話題となりましたが、それに次ぐ衝撃的なニュースでした。
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 WAB108(I. 19:22/ II. 15:47/ III. 33:23/ IV. 31:11)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
セルジウ・チェリビダッケ(指揮)
録音時期:1994年4月23日
録音場所:コリセウ・リスボン(デジタル/ライヴ)
ポルトガル国営放送(RTP)収録
第1楽章からのしのしと迫りくるような巨大な音楽が眼前に広がります。ただし、徹底したスローテンポではなく、どちらかと言うと丁寧に要所を歌いこむチェリビダッケ独特のスタイル。ミュンヘン・フィルの精妙なアンサンブルも素晴らしいの一言に尽きます。特にトランペットの柔らかさ!喧しさとは無縁で、田園の素朴で清涼な空気が伝わってくるようです。
次の第2楽章で特徴的なのは木管楽器と弦楽器の掛け合い。
この楽章の主題は作曲家が「ドイツの野人(ミヒェル)」と名付けたほど、野暮で茫洋としたもの。それが転調して、どこか哀感を帯びた花園の音楽に姿を変わる時の美しさは、チェリビダッケのこの演奏が最も印象的に聴こえます。こういう何気ないところで時折「はっ」とさせられるのはチェリビダッケの演奏ではよくあり、例えば1992年に彼がベルリン・フィルハーモニーの指揮台に38年ぶりに立った際のブルックナー「交響曲第7番」でも「その瞬間」は頻繁におとずれます。
短いながら、非常に聴き映えのする第2楽章ですが、さらにこの演奏の凄みと言うか、神がかった崇高さは次の第3楽章でこそ味わうことができます。タイムは33分23秒。ハイティンク指揮ウィーン・フィルが27分26秒、ヴァント指揮ベルリン・フィルが27分36秒、ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が27分38秒ですから、まあスタンダードなテンポより6分程度ゆったりしています(ハース版とノヴァーク版第2稿の差異は10小節ですが、それが6分の遅さに繋がっているとは考えにくいです)。ちなみに、老巨匠に時折りある、弛緩したテンポではありません。
それにしても、始まった瞬間の幽玄に満ちた弦の響き。大きな呼吸、潮の満ち引きの如き進行。特に、21-25小節は筆舌に尽くしがたい美しさです。さらに、その後も果てしなくブルックナーの清澄な音楽世界が広がり、聴き手は唯々固唾を吞みながら、時間に身を委ねるしかありません。同じ作曲家の「第7交響曲」のアダージオの断片がこだまし、ヴァイオリンとヴィオラによるピツィカートが身の毛もよだつような異界の静けさを奏で……。まさに絶品です。
こういう音楽に接してしまうと、指揮者の重要な仕事はテンポとデュナーミクの設定だけではないな、とつくづく感じてしまいます。ここで聴かれる唯一無二の精妙さ、オルガンのように虹色に輝く音色のブレンドは、チェリビダッケの指揮でしか聴けないものです。同時代にオーケストラ芸術の極致を聴かせたカラヤンやセルのサウンドとも大きく異なる、独自の世界と言って良いでしょう。
さて、最後の第4楽章。チェリビダッケの演奏は迫力満点で、それにはティンパニ奏者ペーター・ザードロ(1962年 – 2016年)の妙技が大きく関係しています。彼の打ち込みは、オーケストラの大音響を圧倒して存在感を示すものの、反面、サウンドにまろやかに溶け込み、バランスを決して崩すことはないのです。
そして最も感動的なのはコーダへの移行からクライマックスにかけて。弦とフルートが力を失うように減衰した後、そのまま5秒の全休止を作ります。他の指揮者はそのまま休止なしで飛び込む例もあるのに、5秒もです。
しかし、これが絶大な効果を生みます。フルトヴェングラーが1951年のバイロイト祝祭劇場でベートーヴェンの「第9交響曲」を指揮した際、「歓喜の歌」が現れる直前に大きな間を置きましたが、あれに似た「間」の凄みが感じられるのです。
そして大団円の恐るべき壮大なテンポ。ザードロのティンパニとともに音楽は巨人の如く歩み、高らかに宇宙の鳴動を奏でつつ、幕を閉じます。聴衆の熱狂的なブラヴォーと拍手もむべなるかなです。